なんとかの上のポなんとか
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1日。 映画千円だからなんか観ようと思って、新宿バルト9ってところで『崖の上のポニョ』を観た。
巷で流れていた主題歌の洗脳的中毒性と、これは子供向け映画ですよと世間体に銘打たれた「前フリ」。それらの前情報から察するに、宮崎駿というビックネームが作り出した『崖の上のポニョ』という映画からは、一筋縄では行かない狂気の電波をビシビシと感じ取っていた。 そしてまぁ実際に観てみたら、大方の予想を遥かに上回る狂気っぷりに僕は畏れおののいた。何に畏れたかってもう、達観したとも言ってもいい或る極致まで到達していた宮崎駿監督自身にだ。こういう仙人レベルの人にはつくづく近寄りたくないなと思う。
ポニョというお話は、最初から既に〈お話〉ではなかった。 ストーリーというものがあるようで実はない。というかあってもなくても〈映画〉として成立するような力がある。究極的に言えば、人間になりたい異形の者(雌)と人間の男と悪い魔法使いと母性を持った巨大な存在が出てくれば設定なんてどうでもよくなる(もっと簡略化できるかもしれない)。 物語が無いという意味でこの映画は〈寓話〉ではなく〈神話〉の域に達していると思うし、まぁ「達した」というよりも現在の宮崎駿の考え方で映画を作ると自然そういう風になったという感じ。 〈神話〉と呼ばれるものに共通してある要素は、下の参考リンクを引用すると、何かを伝えるのに必要なモチーフである。それさえ揃えば辻褄なんてあってもなくてもいい。人々は 神話の中に出てくる個々のモチーフによってその神話全体を記憶する。モチーフによって「なんとなく」まとまった物語の体系を人は神話として伝えていくのではないか。その断片的なキーワードの裏に隠された意味を僕たちは知らないままでもいいし、知ろうとしてもいいのだ。
映画の話に戻る。 アニメ―ション的な表現は言うまでもなくヤバかった。ポニョが人間になって嵐を引き起こして宗介に会いにいくシーンの水の表現、カーテェイスの描写の盛り上がりようは凄い。 特にこのシーンがずば抜けている所以として、このシーンが映画の〈中盤〉にあたる点が挙げられる。 物語の中盤に起こってしまうクライマックス的な盛り上がりを最後に、物語のテンションはこれ以降から一気にほのぼのとしだす。話の流れ的には嵐よりももっと色々な出来事が壊滅的不条理さでもって立ち現れてくるのだが、意外や意外にも話は淡々と進み、登場人物たちは世界の危機を前になんとなくのほほんとしている。その神がかりな風景は狂気的とも取れ、僕は恐怖すら覚えた。それでも映画は迫り来る困難を飄々とした態度で解決していき、その流れのまま物語はめでたしめでたしを迎えるのである。 この辺からして宮崎駿には「筋を立てる」という意識がなかったんだろう。
宮崎監督が今回の映画のことで伝えようとした事は「ポニョ」の公式サイトの解説ページの冒頭で書かれている。
海辺の小さな町 海に棲むさかなの子ポニョが、人間の宗介と一緒に生きたいと我儘をつらぬき通す物語。 同時に、5歳の宗介が約束を守りぬく物語でもある。 アンデルセンの「人魚姫」を今日の日本に舞台を移し、 キリスト教色を払拭して、幼い子供達の愛と冒険を描く。 海辺の小さな町と崖の上の一軒家。 少ない登場人物。 いきもののような海。 魔法が平然と姿を現す世界。 誰もが意識下深くに持つ内なる海と、波立つ外なる海洋が通じあう。 そのために、空間をデフォルメし、絵柄を大胆にデフォルメして、 海を背景ではなく主要な登場人物としてアニメートする。 少年と少女、愛と責任、海と生命、これ等初源に属するものをためらわずに描いて、 神経症と不安の時代に立ち向かおうというものである。
実際、この上記の文章で映画のすべてが語られてしまっている。っていうか、上記に書かれていることすべてが映画上で正確に表現されていることがヤバい。 ある意味投げっぱなしのメッセージに僕たちはともすれば穿った曲解をしてしまう。その「そのまんま」ゆえの狂気が観る者に「本当にこの解釈で合ってるのか?」という不安を与える。それなのに、宮崎監督は何の臆面もなく、何の脚色もなく、自分が率直に思うところをそのまんま映画上に表現しているのだ。 これってある意味「悟り」でも開かないと表現できない極致だと思う。
「愛」とか「勇気」とか「死」とか「世界の終わり」とかが何の躊躇もなく登場人物達の内外に平然と介入してくる世界。そんな世界を、さも至上の理想郷のように描く宮崎駿。 神経症や不安に駆られた現代人への花向けにも諦めにも似た複雑な感情を観客たちに向けている。しかもその複雑さは整理されずにそのまま並べられているのである。 その素っ頓狂な態度に観る側はただ呆然とするしかない。並べられた断片を整理するかそのまま直視するかは観客次第なのである。
宮崎駿がこのポニョを作るうえで築こうとした観客との向き合い方。そこには映画を作る人間としてのサービス精神なんぞは皆無で、観客が一番盛り上がる所を把握しときながら、敢えてそれをしない。ある意味とっても独善的だ。だけど宮崎監督が映画自体が込めたメッセージは、人間をその社会的な生態や習慣からすべて捉え、それを全力で肯定し讃えんとする勢いがある。 つまり大いなる人間讃歌だ。 絶対的肯定だ。 ええじゃないか、だ。 それを観客に向けて真正面に放っている。真正面すぎて観客は穿った見方をする。でも宮崎監督は「そんなん知らねぇよ。もっと素直に見れよ」って言う。「説教」のベクトルを越えた何かがあると思う。
その吹っ切れ具合に僕は感嘆してしまった キチガイなほどにポジティブだと思った。
実際、映画は面白かったです。何も考えなくても、知恵熱出して考え尽くしても楽しめる映画ってのは、そうそうないと思う。
【参考】 「崖の上のポニョが神過ぎた件 」・・・ポニョを神話と捉えた考察。映画の感想を見て回ってると、この2ちゃんねるのいちスレッドがなんだかんだで一番「ほほぉ〜」となってしまった。。。
「パンダとポニョ」・・・カンフーパンダとポニョの比較考察?実際パンダの方はどうでもよくて、宮崎アニメは常にシナリオが破綻しているとかいう話や、辻褄とか整合性とかそんなもんはアニメだからどうでもいんじゃという開き直りがポニョには多分にあるという話。
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